先日、小学校初めての運動会がありました。
数週間前の体育の授業で50メートル走のタイムを計り、クラスの中の男女各4人ずつがリレー選手に選ばれます。
うちの娘は、今年はリレー選手には…選ばれませんでした。
わが娘、小学校はじめての運動会で小さな挫折
運動会のリレー選手の発表があった日の夜、娘は
「リレー選手になれなかった・・・6年間私はリレー選手になれないのかな?」とちょっと悲しそうな顔。
私は、「なれるかもしれないし、なれないかもしれないね。」という返事。
内心、「リレー選手になれなかったことで、小さな挫折を今味わえて娘にとって良かった」と思ったのです。今の娘には少し申し訳ないけれど・・・
うちの娘は4月生まれで、幼稚園の時にはクラスでも成長の早い方で「私は何でもできる!」と勘違いしていたように親としては感じていました。(ホントのところは分からないですけど)
言葉も早いし、クラスの他の子たちを仕切っていたところもあるし、先生と対等に渡り合えるほどチャキチャキ!としていました。
小学校にあがってもそいうところはあったのですが、あんまり得意ではない「徒競走」っていう種目で「上には上がいる」ってことを運動会を通じて学べることができました。
「リレーの選手にはなれなかった。これからもなれないかもしれない。」と感じることで、子供は悲しかったかもしれないですが、「井の中の蛙」にはならずに済んだ。
この経験は娘の今後の成長にとって、とても良いことだったと感謝しています。
モンテッソーリ曰く、小さい頃の挫折は成長の糧
モンテッソーリ教育によると、小さいうちの挫折は歓迎すべきものなのです。
ある分野で少し挫折して、「自分の得意なものは何か。自分と他人の違いは何か。自分の価値は何か。」っていうことに向き合うことができます。
親はなるべく、「子供に挫折や失敗を避けてほしい」と願うものです。
でも、小さい頃の小さな挫折を経験することこそが、今後の成長につながると信じ、親はどっしりと構えなければなりません。
挫折というのは運動や勉強といったものだけでなく、人間関係で少しくらい嫌な思いをすることも良い経験なのです。
「○○ちゃんが私と仲良くしてくれない。じゃあ、他の人と仲良くしよう」と子供なりに考えて行動することで、社会を理解し、本当に信頼できる友人と出会えていきますから。
嫌なことがあれば良いこともある
ちなみに、モンテッソーリ教育ではなく私の独自の教育方法ですが・・・
もし子供にとって「嫌なことや悲しいことがあった」と落ち込んでいたら
「嫌なことがあれば、次は良いことがある。そいういうふうに決まっているんだよ」と美輪明宏の世界を引用して励ましています。
人生の幸せの絶対量は、他人も自分もそんなに変わらないのじゃない?という私独自の考えです。
あんまり根拠もないですが、こんな風に考えれば日々のいろんな出来事に浮き沈みすることなく、落ち着いた日々を送れますよ。
良かったら参考にしてみてくださいね!
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