「ママお茶」と言えば「ママはお茶ではありません」と答える。
ここだまでしょうか?
いえいえ。
「ママお茶」という子供には、決して「はいお茶」と、こだまでは返せません。
(参照:金子みすゞ「こだまでしょうか」)
子供の間違った日本語を流さない!こだまでは返さない!!
詩人・金子みすゞ 「こだまでしょうか」によれば、
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう
ですが、、、、
子供に「ママお茶」って言われても
ママは「はいお茶」なんて簡単には答えません!
そんなこと子供に言われようものならば、
「ママは、お茶なんかじゃありませーーーン!!」と
いじわるな返答をしています。
いけずでしょうか?いいえ、
子供も「しまった!」とすぐに気がつき、
「ママ、お茶をついでちょうだい」と
言い直してくれます。
母親はつい、子供の言うことは何でも分かるもんだから
「はいはい」って聞いてしまったり、
子供の表現がつたなくても
先回りしたり、推測したりして答えてしまいがち。
そんな会話を日々繰り返していては、
母親と子供の絆は深まるかもしれませんが、
子供の表現力は育たないです。
家庭の中では「ママお茶」で良くても、
学校や社会に出ていろんな人と関わるとなると、そうはいきません。
子供のうちから、伝える力、表現する力をつけることは、
グローバルな現代社会で生き抜くためにとっても必要なことだと
考えます。
家の中だけで通じる会話ではいけないし、
地元だけで通じる考えでもいけないし、
日本だけで通じる常識でもいけない、からです。
言葉というものは、子供が広い視野を持つための大事な大事な
ベースとなるものなのです。
先月の国語の授業参観がためになった件
先月、娘が小学校に入学してはじめての授業参観がありました。
その授業がとても良かったのでご紹介します。
科目は国語。
まず、見開き2ページの詩を先生と子供が朗読します。
朗読が終わるとページをめくる。
めくった先の見開きページには、文字が一文字も書いてありません。
森の中にいろんな動物がいる絵が、一面に描かれています。
先生は子供たちに「この絵の中にはどんな動物がどこにいますか?」と質問。
子供が「ここにリスがいます!」と答えると、
先生「ここ、では先生やクラスの他の子、お母さんたちに分からないですよ。森の中のどこか、答えてください」
意図を理解した子供たちは、
「木の下に、リスがいます。」
「芝生の上に、ウサギがいます。」
「空に、鳥が飛んでいます。」
など、どんどん手を挙げて答えていました。
子供たちは、自分のすぐ近くにいる人だけではなく、
先生やクラスの他の友達、保護者の方々と
教室中の人に伝わるような表現を頑張って探すようになりました。
子供たちが、人に伝える表現について学んでいるのです。
小学校1年生の国語にふさわしい、よい授業だなと思いました。
日本語力を鍛えることで、思考力も向上する
「ここ」っていうのはママと子供の間で伝わる表現
「木の下」という表現にすればより多くの人にも伝わりやすくなる
すぐ近くにいる人だけでなく、たくさんの人に伝わる表現を学ぶこと。
こういった日本語の表現を学ぶことは、同時に
物事に対する「客観視」や「一般化」する考え方の習得につながります。
そして自分よがりの視点から脱し、
広い視野をもって考えていけるようになります。
そう考えると、国語って思考力の基礎となるものだし、とっても大事だなーと思います。
そして国語は言葉。
言葉のベースは家庭での会話。
毎日の母親と子供の会話はホントにホントに、
大事だと思います。
忙しいとさらっと流してしまいそうになりますが、
毎日の会話を大切に、ていねいに心掛けたいですね♪
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